見てきました。
すっごくおもしろかった!
以下ネタバレあり感想です。※下ネタ少しだけ含みます。
佐藤二朗さんのヤッバい悪人役が見れる、と予告で知ってからかなり楽しみにしていました。
普段ちょけてる役が多い人のヤバい悪人演技ってやっぱ最高だよな!
取調室と現場で場面の切り替わりが多いけどそれが良い緩急になってました。
個人的に、「スズキタゴサク」が社会底辺層の小汚いダメな中年から得体のしれない化け物へ、そして一人の何もない何者かわからない無い人間への変化が最高だった。
佐藤さんの怪演と映画全体の演出が合わさってずっと緊張感あってドキドキしてた。
タゴサクの人の心の爆弾に迫る言葉、問いかけ自体は結構使い古されたものでは?とは思いました。
命は平等か?(命の選別)、俺がやっておけば良かった、人を殺したいと思ったことは?などなど…
個人的には「いや~~~それはそれ、これはこれ!では?」とか思って刺さるという感じではなかったかな。
長谷部の「ナニしちゃうほど事件現場に興奮すりゅ!」という性癖の方が全然ぶっとんでね…?とか。(でも現場にピュしちゃうのは大丈夫なの…?というのと、深堀すると「悲惨な事件の現場ほど興奮する(他人の受けた凄惨に興奮する)」とかなら確かに酷いとなるかもしれん)
どちらかというとこの言葉に対する類家や等々力の返しに個性や説得力を感じました。
類家は「壊すなんて誰でもできる、守る方がずっと大変でやりがいがある」
等々力は「爆弾が全部爆発すればいい、全部ぶっ壊したい、とは思うけど、守ることをくだらないこととは思わない」
タゴサクの言葉は「正しい」。多くの人に爪をたてられる言葉の中でもさらに個人に合わせてチョイスされてる。
だから否定はせず「そうだよ、でも自分はそこから更にこうなんだ(全部知ったつもりで言ってくるなよ)」と受け流すのは今時だなぁ~となりました。
爆破箇所に長谷部のことリークした精神科医の医院含まれてないの納得いかね~~~こいつが一番悪いだろ!医者としての守秘義務どうした。キャラとしてすら出てこない。こいつを爆破しようぜ!!
「対タゴサク戦」とバトルで考えると対峙するキャラの配置が物語の王道で飲み込みやすい
一番手・等々力(優秀な若手)、二番手・清宮(ベテラン秀才、きっちり規制通りを行く)、三番手・類家(変わり種天才系若手、バケモノのタゴサクと最も近い本質を持つ)
等々力、清宮が正当な剣筋で向かい合って結果翻弄されまくるのに対して、もじゃもじゃ頭に眼鏡でちょいオドオド気味な類家がタゴサクに相対した瞬間ガラっと雰囲気が変わり辛らつな舌鋒でギュンっと距離を詰めていってるのがバトル漫画みたいでおもしろかった。
タゴサクの間合いの取り方…支配の仕方って下手に出てヘエコラしているようでいて最初に相手の名前を掌握して(聞き出して)「あくまで私の方から距離を詰めていっている」っていうのを崩さないんだよな~伊勢が顕著だったけど、相手に「お前を俺と同じ土俵に上げてやってる」感を持たせつつ実際は自分の土俵におびき寄せて「喰って」しまう。
類家だけ最後まで名前で呼ばなかったのは相当警戒していた、同じ土俵に上がらないようにしていたのかなと思いました。
類家は「タゴちゃん」呼びで最初からガンガン間合いに入って行くのは、タゴサクの間合いの詰め方の出力方法を変えただけで本質は同じなのかな?とか。
タゴサクの、等々力に対する「気に入りました。あなたとしか話しません」とか伊勢に対して"ミノリちゃん"の話を「あなたにだけ教えます」というテイで話すのゾワ~っとした。「あなただけ特別」というのに弱い、人間とはそういうもの。こんな取るに足らないと見下してる相手にさえそう思ってしまうことをスズキタゴサクは深く理解してるし、全てがどうでもいいの境地にあるからこそこれを軽々利用できてしまうんだな、と。
で、これ類家が等々力のことを下から褒めながら力を適切に借りてるのとちょっと似てるのかもと思いました。
※類家が等々力の実力認めてるのは本当だとは思う。
現場サイドの警察コンビの動きも良かったです。
矢吹(倖田の先輩な男性警察官、刑事になりたい気持ちが強い)と倖田(女性警察官、矢吹の後輩)のやりとりの口さがの無さがリアル。
シェアハウスに突入するところ怖かった~~~映画「羊たちの沈黙」でクラリスが犯人自宅に乗り込むシーンと重なった。
異様な感じがすごく伝わってきました。ゴミ屋敷、長谷部の家族にあてた遺言ビデオレターが永遠ループして映されているゆらゆら揺れる薄いスクリーン、大量の血がついたなにかを引きずったような跡…陽光で薄明るいのが逆にすさまじい不穏さがあり、うわ~~~こんなお化け屋敷あったら…って思わず考えちゃった(今は大ホラー時代ですので)
爆発の演出、派手な炎より土煙や泥などの演出に力入れてたように感じました。
最終的に、人間として爆弾を抱えるものでありながらタゴサクと類家その他警察の面々と明らかに別ったのは「仲間がいるかどうか」なのかな。
この場合の「仲間」とは少年漫画のような熱い青春で結びついた関係、ではなく。
情を移し、共感し、相手と、相手を肯定したい自分を否定されたくないというエゴを持つような関係の誰か。
タゴサクにとっての石川明日香は仲間になりえた存在だったけど、明日香が「利用しようとした」ことでタゴサクのそれは一方的なものだったと思い知らされたのか、その絶望ってなんともいかんしがたいだろうなと思ったり。
自分だけが友達だと思っていた、ってキツいよね。
私はタゴサクは令和のジョーカーとか無敵の人とかサイコパスってよりも、そうあろうとした「何者でもない男」なのかなと感じました。
人間は他人からの「反射」ありきで自己を決定するところがあり、その他人は仲間という形をとることもある。
仲間がいない人生を送ってきたタゴサクは自分に係る他人をそのまま映す鏡のようなものにはなれど、タゴサク自身を映す誰かはついぞ現れなかった結果がアレなのかもしれない。
寂しいというより虚しい存在なんだろうな。
パンフレットは当日売り切れでしたが後日追納があったので無事ゲット!
インタビューから監督やPの熱量や真摯さを感じられて買ってよかったです。
「邦画はエンタメとアートで両極化してるから、どっちでも評価される映画を目指した」とのこと。
見てる間ずっと映画の表現の随所に拘りを感じたし、エンタメとしてわかりやすさもしっかり追及してるなと、いささかわかりやすいくらいにビンビンに感じたので、そういう野心があったんだなぁと読んで納得しました。
(オマケ)
思わずウっとなったシーンは
・激怒した清宮がタゴサクの指を折るシーン(うぐああ痛い…)
・シェアハウスのトラップで足を吹っ飛ばされた矢吹(本人は意識不明だけど傷口も処置シーンもリアルでウオ…なった)
です。
長谷部が特殊性癖全開してるシーンは後ろ姿なのもあり、うん…とはなったけどそこまで気まずくは無かったかな。

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